メディアリテラシーによる情報の扱いについて意見を言います

メディア THINKING
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こんにちは、ざわ(@grow78374)です。

久しぶりの投稿ですが、気にせずブログを更新していきます。

今回は、コロナウィルスで混乱状態になっている情報の扱いについて話していきたいと思います。

よく、ニュースやネットで評論家が口をそろえて言っている「メディアリテラシー」について言及していきたいのですが、結論を言うと、責任は両者に存在すると僕は考えています。

メディアリテラシーの意味とは

そもそもメディアリテラシーっていう言葉はどういう意味なのか、どんな風に定義されているのかを引用しますと、それぞれの機関で微妙に異なっていることが分かります。

NAMLEの定義は以下の通りである。「メディア・リテラシーとは、あらゆるコミュニケーション形態を用いてアクセス、分析、評価、創造し、行動する能力である。もっとも単純な用語としては、メディア・リテラシーは伝統的なリテラシーを土台とし、新しい読み書きの形態をもたらすものである。メディア・リテラシーは、人々を批判的に思考し、かつ創造し、効果的にコミュニケーションするアクティブな市民にする。」

Wikipediaより引用

ざわ
ざわ

NAMLEの定義では、「自己表現するやり方」としているみたいだね

ぐにゃトラ
ぐにゃトラ

コミュニケーションの幅広い活用法ができて時代はえらい進んでるなぁ・・・

CMLの定義は以下の通りである。「メディア・リテラシーは、多様な形態(印刷からビデオ、インターネットまで)のメッセージへアクセス、分析、評価、創造、参加するための枠組みをもたらす。メディア・リテラシーは、社会におけるメディアの役割の理解を構築するとともに探究に必須のスキルであり、民主主義社会における市民の自己表現に不可欠なものである。」

Wikipediaより引用

ざわ
ざわ

CMLの定義では、「探求・表出における必須スキル」として言われているね

ぐにゃトラ
ぐにゃトラ

特にネットの世界ってホントにどの情報が正しいかしっかり見極めないといかんからな~

EUの定義は以下の通りである。「メディア・リテラシーはあらゆる技術的、認知的、社会的、市民的および創造的諸能力に関わるものであり、それらは私たちがメディアへアクセスし、その批判的理解とメディアとの関わりあいを可能にする。これらの諸能力によって私たちは批判的思考力を鍛えるとともに、社会の経済的、社会的、文化的側面に参加し、民主主義的プロセスへ積極的な役割を演じることを可能にする。」

Wikipediaより引用

ざわ
ざわ

EUでの定義は、「クリエイティブな活動においての自己と社会の貢献に欠かせない能力」って感じでまとめられているね

ぐにゃトラ
ぐにゃトラ

互いを高めあう社会こそワイは理想的やと思うねん。その意味はよくわかるわ

このように、組織機関での意味合いはほぼ一緒だといってもいいでしょう。

一方、ユネスコでは情報リテラシーとメディアリテラシーを統合したメディア・情報リテラシーという用語を用いられているそうです。

メディアの責任と国民の責任

あらゆる情報はネットやテレビ、新聞などで手に入ることができます。

しかしこれは情報を選ぶ側も発信する側も慎重でなくてはなりません。

メディアの責任とは

メディア側は、正しい情報かどうかを精査し、よく検討したうえで公開する義務があります。

仮に間違った情報であったとしても、しっかりと謝罪をして訂正された情報を公開すれば問題はありません。

しかし、最近のメディアの風潮はこんな傾向になっているのが気になります。

  • SNSで得られた信頼性が不明な情報をそのまま取り上げる
  • 間違っていても謝らず、そのまま「デマだと判明」とネタにして取り上げる
  • 記者会見での責任逃れをするような態度

他にもたくさんありますが、これはもちろん全員のメディア関係者に言っているのではなく、一部の迷惑な人たちの行動が目立つようになってきたということを言っているので誤解しないように。

国民の責任とは

一方、我々国民は、どのようなことに気を付ければいいのでしょうか。

僕だったら情報収集ではこんな風にして集めていきます。

  • 関連情報を1つのサイトのみならず、4~5サイトまとめて調べてみる
  • あるなら論文を見てみる
  • ブロガーの記事も参考にする

ここまでやってようやく確信を持てる気がします。

1つの記事から全てを鵜呑みにするにはさすがに早とちりかな、といった感じです。

自己表現としての注意点

創作活動においては余計に気を使わなくてはいけません。

著作権、肖像権、プライバシーなどなどいろんなことが騒がれますが、「事実」と「意見」を履き違えないようにしてほしいですね。

コロナウィルス騒動でも、デマや迷信をやたらに拡散されていましたが、それに便乗していたら同じですよ。

いい加減脳みそを使ってほしい所です。

トイレットペーパーやティッシュ、マスクの買い占めは迷惑なのでやめましょうね。

マスメディアに求めるところ

リテラシー

メディアリテラシーって言われると、「情報を発信する側も受け取る側も責任がある」と言われるのは全くその通りだと思います。

もちろん人間ですから間違えることもあるでしょう。そのくらいは理解できます。

ただ、「受け取る側に責任がある」という発言をマスメディアが言うのはどうなんでしょうか?

自分の間違いを棚に上げて、国民に責任を問うのは意味が分かりません。

僕たちも気を付けて過ごしているのに、文書(または公式サイト)での謝罪もせず、特に芸能関係のニュースではプライバシーをガン無視した取材をしては、その記事の編集者の情報を公開せずに責任逃れをするようなところからそのようなことを言われる筋合いはないと思います。

何度も言いますが、間違ったのならしっかりと謝り、情報を訂正し、しっかりと公開するくらいのことはできるのではないのでしょうか。

規則や法律以前に人としての倫理観を疑わざるを得ませんよね。

まとめ

いかがでしたか。

情報の取り扱いは誰でも気を付けなければいけません。

受け取るときも鵜呑みにせず慎重に。

発信する時も事実と意見を履き違えないようにすること。

一部の頭のおかしい人たちの発言にいちいち左右されないように、しっかりと考えて行動するようにしましょう。

というわけで、僕は外出怖いので極力控えて作業を続けていきます。

今回はここまでにします。

最後まで読んでいただきありがとうございました。