葛藤が正義か、平穏が正義か

THINKING
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こんにちは。ざわです。

心理の仕事をやっていくと必ず直面する問題について触れていこうかなと思います。

今回のテーマは「葛藤と平穏」についてです。

心理における葛藤とは?

心理学で葛藤について触れていくと、経験者は苦い顔をするのではないでしょうか。

というのも、心理療法やカウンセリングを行っていく上で、葛藤する場面に直面することは何度もあるからです。

1度や2度で終わるならまだしも、それはこの仕事をしていく度に増えていく一方でしょう。そこで苦悩し、時に足掻いて答えを追い求めなければクライエントの”こころ”を理解することはできないと考えられています。

ここで言う葛藤とは、同程度の強さを持つ欲求に対し、どちらを選ぶべきか悩む状態のことを指します。

葛藤をし続けると当然ですがストレスが溜まり、ストレスが溜まると身体的にも心理的にも悪影響が生じるので、人はその葛藤から回避するための行動をとるようになります。

普通は逃げたくなるもの、でもここが大事

本来、葛藤していると取るべき選択がブレてしまい、後で「違う選択をすれば良かった」と後悔をしてしまうこともありますが、実はこの「葛藤をしている状態」こそが心理において重要視されるポイントの一つとなっています。

葛藤をするということは、つまり自分にとって「必要であるもの」や「快楽を満たすもの」を考えているため、あらゆる要素の中でいかにリスクを避けてリターンを得るかを真剣に悩んでいる状態とも言えるのです。

当然ですが、僕たちは嫌なことからは逃げたいし、やりたいことだけをやっていけたら苦労はしないですよね。

ところが現実はそこまで甘くないし、訳の分からない大人の事情によって理不尽な目に遭うことだってあるのです。

その中でうまくやり過ごすためには、その都度問題に直面した時に「葛藤」を経験することになるのです。

葛藤はしたくないが、しないと自分らしさが分からない

悩んだり苦しんだりすることは極力避け、平穏に生きたいのが普通ですが、葛藤を経験しないと生きていくのが難しくなります。

小さい頃は原始的で本能に基づく行動が主体的となっていましたが、大人になると様々な経験を経て論理的な思考を身に付けるようになります。

ただそれは「社会的に良いとされるもの」を中心に考えており、本来備わっていた「自分にとって良いもの」が薄れていくことにもなると思うので、無意識のうちに自分が辛くなるような行動を取っていることも考えられます。

つまり、子どもが直面する葛藤と、大人が直面する葛藤の本質は異なっており、どちらも悩むべき大事なポイントとも言えるでしょう。

自己中心性と道徳的観念の二つをとってみても、これも葛藤する要素になりえるのではないでしょうか。そこで葛藤を経験すると、自分がどこで苦しんで何を求めているのかがハッキリと見えてくるはずです。

アイデンティティの形成には「自分らしさ」と「社会的に認められる立場に自分が身を置くこと」が重要です。

特に前者は具体的に「自分らしさが分かった!」というターニングポイントが見えづらく、いつのまにか「自分ってこういう人間なんだ」と気づくことが多いですが、そこに自信がつくと積極的に行動できるようになっていくのです。

カウンセリングの葛藤は心の整理整頓

カウンセリングにおいてクライエントが様々な問題に悩まされている時に、その葛藤を紐解いていくと直接問題を解決しているわけでもないのに迷いが消えたり次のアクションが増えたりといった変化が見られる事例をいくつか見たことがありました。

心理学において心理療法やカウンセリングの技法には心理界隈の中でもあれやこれやと議論が絶えないですが、僕はこの葛藤を経験することが心理支援として大事だと考えています。

よく、失敗をすることが大事という話を聞きますが、厳密に考えると「失敗した時に何が原因で次にどうすればよいのかを悩んで考えること」が大事なのではないかと思ったりもします。ただ何も考えずに失敗ばかり積み重ねては自己肯定感が下がる一方で、自分の人生にただ”失敗”というレッテルが増えるだけだと思うのです。失敗を乗り越えるためにはそこで考えること、悩むこと、取るべき選択が増えた時にきちんと葛藤を経験することが必要なのではないかと考えるわけです。

葛藤が正義か、平穏が正義か

このテーマの結論としては「基本は平穏だが葛藤は捨てられない」といった具合でしょう。あまりデジタルに「葛藤が一番」とか「平穏が一番」とか考えるとそうじゃない時に葛藤することになるので、そのあたりは人によってタイミングも異なるから極端に考えるのはやめようかなと思いました。

そんなことを考えて、今日も仕事に行ってきます。