「寄り添います」
「気持ちに共感します」
支援者がよく使う言葉だ。
悪意はない。むしろ誠実さから出てくる言葉だと思う。
でも僕は、4年間この仕事をしてきて、その言葉をほとんど使わなくなった。
【理由】他人の気持ちは、本当にわからないから
これを言うと引かれることがある。
「それで支援者が務まるの?」って。
でも逆に聞きたい。
「わかります」と言える人は、本当にわかっているんだろうか。
たとえば、親を突然亡くした人の前に座るとき。
離婚して子どもと会えなくなった人の話を聞くとき。
何年も誰にも打ち明けられなかったことを、初めて口にしてくれるとき。
そのとき僕の中にあるのは、正直に言うと「追いつけない」という感覚だ。
その人が生きてきた時間の重さに、1時間の面接室で追いつけるわけがない。
「わかる」と言うのは、そこに追いついたふりをすること
じゃあ何のために現場に立っているのか、という話になる。
わからないなら、黙って帰ればいいじゃないか、と。
でも「わからない」と「一緒にいられない」は別の話だ。
わからないまま、隣に座ることはできる。
わからないから、もう少し聞かせてもらえますかと言える。
わかったふりをしないから、的外れな「励まし」を押しつけずに済む。
「わからない」は、支援者の弱さじゃない。
むしろそれを知っているかどうかが、現場で起きていることに正直でいられるかどうかの分かれ目だと、僕は思っている。
心理の勉強をしていると、「共感的理解」という言葉が出てくる。
ロジャーズの言葉だ。
ただ、あれは「相手の気持ちがわかる」という意味じゃない。
相手の内側の世界を、できる限り正確に感じ取ろうとする姿勢のことだ。
完全には届かない。それを前提にしながらも、届こうとし続ける。
その「届こうとする」ことと、「わかります」と言い切ることは、まったく違う。
綺麗事を言わない支援者が増えてほしい
しっかりと「わからない」と言える支援者が。
その上で、それでも現場に立ち続けている人の話が、もっとあっていいと思っている。
このブログはそういう場所にしたい。
