はっきり言う。
大学でロジャーズを学んだとき、「これで支援ができる」と思った。
・無条件の肯定的関心
・共感的理解
この三つを体現できれば、クライエントは変わっていく——そう信じていた。
信じていた、過去形で書いたのには理由がある。
現場は原則をことごとく崩れさせる
現場に出て最初に崩れたのは「無条件の肯定的関心」だった。
どんなクライエントも評価せず、ありのままを受け入れる。
理念としては正しい。でも、面接室の外で何が起きているかを知ったとき、それだけでは立っていられない瞬間が来る。
・自傷が止まらないケース
・「誰かを傷つけたい」と静かに話すクライエント
そのとき「ありのままを受け入れる」は、どこまでを指すのか。
受け入れることと、何もしないことは同じじゃない。
でも教科書にはその線引きが書いていない。
現場では、その線引きを自分で判断しなければいけない。
毎回、リアルタイムで。
次に崩れたのは「自己一致」だった。
自分の内側と外側が一致した状態でいること。支援者自身が透明であること。これも理念としては正しい。
でも、自己一致しようとすればするほど、気づくことがある。
自分の中が、思っていたほどクリアじゃない。
クライエントの話を聞きながら、なぜかイライラしている自分がいる。
理由がよくわからない。あるいは、特定のクライエントのことが気になりすぎて、セッションが終わっても頭から離れない。
これは何だ、と思う。自己一致どころか、自分の感情の出所すら掴めていない。
実はこの「自分の中で何かが動く感覚」こそが、現場の核心に近い場所にあるのだと後から知るのだが、学校でそれを教わった記憶はない。
しかし、原則はとても重要なものである
誤解してほしくないのだが、ロジャーズを否定したいわけじゃない。
三原則は今でも重要だと思っているし、あれが土台にあることで救われた場面もある。
現場に必要なのは、その理念を持ちながら、同時に動けることだ。
・他機関と連携する判断力
・燃え尽きないための自分の管理
場合によっては、クライエントの怒りをまともに受けながら、それでも次の一手を考える冷静さ。
そのどれも、ロジャーズは教えてくれない。
心理職を目指している人に正直に言うと、現場は「いい支援者であること」だけでは乗り越えられない場面がある。
「いい人」はすぐ消耗する
善意は燃料になるが、燃料だけでは走り続けられない。
じゃあ何が要るのか?
それは多分、「わからないまま判断する」ことへの耐性だと思っている。
正解が見えない状況で、それでも今日この人の前に座り続けるという選択を、繰り返せるかどうか。
でも現場は、入口の先にある。
誰も正直に書かないのは、たぶん怖いからだと思う。
「三原則じゃ足りない」と言うと、ロジャーズを否定しているように聞こえる。
権威への反論に見える。
あるいは、自分が未熟だと白状しているように感じる。
でも僕は、それを言える支援者のほうが現場に向いていると思っている。
足りないと知っている人だけが、足りない部分を補おうとするから。
