義務教育を受けるべき理由とは?【結論:将来的に居場所がなくなる】

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こんにちは、ざわ(@grow78374)です。

世間では不登校の問題が浮き彫りになってきました。

この間どこかの少年革命家の記事を読んだのですが、その父親が話題に出てきてからあらゆる著名人とネットを盛り上げているみたいですね。

子どもが不登校であることを世間に知らしめて、「不登校の意義」を訴えているようですが、まぁ本人が嫌がっていないならまだしも、仮に僕の家族がそういう風なやり方をすると、なんとも複雑な気分になってしまいます。

義務教育について

【注意】僕は専門家ではないので、あくまで知りうる限りの知識を使って話していきますが、あまり鵜呑みにしないでください。

不登校の問題に入る前にまずは義務教育についておさらいしておきます。

日本においては、子供を保護する日本国民には法律の定めるところにより教育を受けさせる義務があると定められている(日本国憲法26条第2項前段)。もっとも、すべての日本国民は、法律の定めるところにより教育を受ける権利も有している(第26条第1項)ので、「教育を受ける権利」「教育を受けさせる義務」の双方について法律で定めることが想定されており、これらの条件の整備などは、法律によって行われる。

引用:Wikipedia

義務教育でよく勘違いする人もいますが、子どもは教育を受けることができる「権利」を有しており、親は子どもに普通教育を受けさせる「義務」があるということです。

なので、学校側や親の方で子どもに就学させる環境ができているにもかかわらず、子どもが自らの自由意志によって欠席を選択する場合は親や子どもに対して何の罰則もされません。

しかし、子どもが学校に行く希望があるにもかかわらず、保護者が進学しないようにする(例えば家事を強制的に行わせたり、閉じ込めたりしたりする)と、これは就学義務違反となり、督促を受けても履行しないと10万円以下の罰金が科されます。

また、不登校の子どもが学校に行く代わりにインターナショナルスクールなどを利用する場合もありますが、教育を受ける機会としては良くても文科省の通知によると「就学義務の履行になっていない」という扱いになるそうです。詳しくはコチラ↓

義務教育で学ぶことは結構多い

こんな感じで、不登校になること自体は子どもに対して法的にどうこういえないわけですが、とはいえ放っておけない問題ではあります。義務教育を放棄すると、将来不利になるのは子どもの方で、居場所がなくなっていく恐れがあります。

では、改めて義務教育の間で何を学ぶことができるのか?

それらをまとめてみましたので、もし子どもから「勉強して何の意味があるの?」といった質問が来た場合は参考に使ってみて下さい。

義務教育では以下のような効果が期待されます。

  • 学習習慣の定着
  • グループ活動によるコミュニケーションの練習
  • 答えのない問題に対する主体的な発言の獲得
  • 個人のスキルを伸ばすための試行錯誤が可能
  • 苦楽を共にした同世代との経験の重要性を知る

順番に解説していきます。

学習習慣の定着

学校では授業を受け、宿題が与えられてそれをこなすことで知識が身に付くといったサイクルになっていると思いますが、これは社会に出てもそのパターンはほとんど変わりません。

企業に就職した時もこんな感じで学習が進められます。

  • 研修を受ける
  • 実際に業務にあたる
  • 問題点のブラッシュアップ
  • 改善した後のフィードバック
  • 次の段階に進む

つまり、学校で習うことは大人になって働く時にも十分活かされるスキルなのです。

これを普遍的に教えてくれるところは学校以外では少ないでしょう。

親から教わる場合では、親が経験したことでしか教えられません。子どもはいきなり特定の才能に恵まれていることは少ないので、まずは誰もが最低限出来るものをしっかりと身に付けることから始めるのが重要です。

今でこそ学校教育は個々のニーズに合わせた支援計画等も盛り込まれ、不平等さは解消されつつありますが、そうした配慮ができている状態ならむしろ学校で学ぶ機会を得るほうが良いと思われます。

グループ活動によるコミュニケーションの練習

学校ではよく決められた班での活動やクラス単位での活動を実施します。

例えば、学級委員会や遠足などは、自分たちの希望に合わせて内容を決めていくことになりますよね。そうした活動も学校でしか経験することができません。

団体行動は他者とのかかわり。

つまり他人とのコミュニケーションが必要不可欠となります。

小学校や中学校の間ならしょっちゅうケンカもするし、時には派閥争いも起きたりします。しかしそうして本音をぶつけ合った後に冷静になって考えてみれば、意外と相手の考えもそこまで悪くないということを知ることができます。

時に自分が間違ったことをしていても、他の人がちゃんと正しいことを教えてくれる素敵な場所でもあるのです。

誰も答えてくれない、誰も助けてくれない世界で発信していても、自分の間違いを自身が気づくことは基本的に不可能でしょう。

答えのない問題に対する主体的な発言

道徳とか芸術とかがそれにあたるんじゃないかと僕は思っています。

道徳って、自身の良心に語り掛けて「こんな時あなたはどうする?」といった問いが何度も押し寄せてきます。他にも「あなたにとって○○とは何ですか?」みたいにそれぞれの意見を聞く場合もあります。

ここでは絶対に「それは違う」と否定してはいけません。

それはその人自身を否定することになるからです。

そうした答えのない難しい問題を自分あるいは友達と一緒に考えることで、「これは自分だけの問題じゃない」ということを認識させ、時に助け合い、時に認め合うといった「相手のことを考える力」を養うことにもつながります。

やはりそこには同年代の評価が一番大切で、もし何も知らない子どもが難しいテーマに関して意見を述べた時、それがネット上で行われるとどこからともなく呼んでもいないのに専門家や学者、おまけに揚げ足取りのアンチまでがその子を徹底的に叩きのめします。

なぜこんな表現で書いているかというと、彼らが正論を言うのは当然ですが、それが小中学生にとっては「シンプルに重たい一撃」を何度も浴びせられるような精神的苦痛を味わうことと同じようなものだからです。子どもたちはちょっと言っただけでここまで言われるなんて想像できません。ネットでの議論はそこまで非情なものです。

少しずつ自分や相手を認めるようになるには、同じ条件で同じ年代の子どもたちが同じ問題に取り組むことが必要であり、学校はそういう機会を与えてくれる場所であると僕は思います。

個人のスキルを伸ばすための試行錯誤

運動が得意な子は体育の成績が良くなるし、芸術の才能に開花した子は美術や音楽などで活躍できます。

人には得手不得手がありますが、そうした違いを見つけ、長所を伸ばすという点では学校でスキルを伸ばす方が効率が良いです。

好きな授業を見つけることができたら、それのために頑張れるし、時間も確保されるため、集中して取り組むことができます。

また、部活動なども個性を伸ばすという点では優秀です。

努力して得られるものを味わうこと、仲間と共有できる体験、自分自身に対する挑戦など意外と教わらないものを体で覚えることができるのが大きなメリットであり、特に仲間との絆はそこでしか手に入らないものだと言えるのではないでしょうか。

苦楽を共にした同世代との経験の重要性

とにかく学校での学びで最大級のメリットは「同世代とのコミュニケーション」であり、苦楽を共にした経験を共有できることであるのが僕の考えです。

これはかけがえのないものであり、他の場所ではなかなか得ることができないでしょう。

ただ勉強をするだけなら塾や家庭教師でどうにかなります。しかしそれは知識だけが身に付くのであって心の成長にはつながらないでしょう。

生きていく上で、いろんな人と関わるのは避けられません。

出会ってきた人に感謝をするとともに、同世代との思い出は大事に取っておくべきだと僕は思います。

義務教育を受けるとメリットあり

以上、義務教育の効果について説明してきたが、実際に義務教育を経てきた僕が義務教育を受けるメリットをもう少し具体的に話していこうと思います。次の通りです。

  • 仕事になる
  • 子どもとのかかわり方を知ることができる
  • 社会で人との上手な付き合い方ができる

仕事になる

僕は大学生になって塾講師のアルバイトをしました。

それができたのは義務教育の賜物です。

しっかり勉強して、小中学生を対象に学習指導をすることでお金を貰えるので、多くの人が塾講師のアルバイトを応募するのではないかと思います。

塾講師は他のバイトと比べて時給が高いので、金欠で困っている人は塾講師に応募してみるのがオススメですよ。

その前にはまずしっかりと勉強をしなければなりません。

最近はコロナ禍もあってオンラインでの塾や家庭教師などが流行ですが、特におすすめのサービスを下のリンクに載せておきます。

他にももっとオンラインでの塾や家庭教師について知りたい方は、コチラの記事でまとめておりますのでよかったらご覧ください。

子どもとのかかわり方を知ることができる

義務教育の中では集団での活動がメインであるという風に話しましたが、それぞれ子どもの特性を理解していないと問題が生じたり、仲良くしづらくなることがあります。

たくさんの困難を乗り越え、なんだかんだ言って卒業した僕は、塾講師のバイトもそうですが、普段子どもの相手をするときにストレスがほとんどなくなりました。

それは一人一人のことをしっかり見て、何が好きで何を考えて行動しているかを考えることで、予期せぬ事態が「想定内の出来事」で済ませられるようになったからではないかと考えています。

これはあくまで僕の経験則ですが、人はいろいろな刺激を受けていくと「これ他の人だったらどう感じるのだろう」と相手の立場になって考えることができるようになるため、そうした場所での生活は大事だと感じます。

社会で人との上手な付き合い方ができる

さっきのは子どもに対しての話で、今度は大人に対しても通用するよねって話です。

要はコミュニケーションがある程度培われているので、そこからさらに社会常識やルールやマナーについて追々知っていけば、もう社会でどうにか生きていけるようにはなるんじゃないかと思います。

現に僕はまだ社会人ではないですが、アルバイトやボランティア、外部の合唱団などで様々な人と関わりを持つことができているので、小さいころからそうした経験を積んでおくと将来的に安心ですね。

コミュニケーションの面を考慮すると学校には行くべき

まとめると、義務教育を子どもが放棄すること自体は可能ですが、それをしてもメリットはあんまりなく、大人になった時に居場所がなくなっていくだけなのであまりおすすめしません。

確かに学校での問題もたくさんあると思いますが、子どもが学校で成長する意義は本当にたくさんあります。

大人になった時に強く生きるためには、学校であらゆる練習を重ねる必要があるので、そうした面でもせめて義務教育だけは受けておくべきかなと僕は思います。

不登校の問題も課題は残っていますが、それらを踏まえて真に学校教育がより良いものになっていったらいいなと切実に思います。