こんにちは、ざわ(@grow78374)です。
今日は心理学についてです。
人は他者とかかわると必ずストレスを感じます。
それは好きな人でも嫌いな人でも、家族でも他人でもかかってしまうものです。
アドラーはそれをひっくるめて「人間のすべての悩みは人間関係に行きつく」と言っているくらい、人は誰かと接触するとそれなりの刺激を受けてしまいます。
今回は大人気ライトノベル「やはり俺の青春ラブコメは間違っている」から依存について書いていこうと思います。
あとついでに現在出ている最新巻と、その1つ前の巻の小説も購入したため、感想もちゃっかり書いていきます。多少ネタバレが含まれますのでご注意ください。
俺ガイルから衝撃の展開が繰り広げられていた
今回は俺ガイルの12巻と13巻を購入しました。
はっきり言ってめちゃくちゃ好きです。
中身語りたいくらいです。
渡航先生が考える八幡の斜め下すぎるツッコミの仕方は本当に感心します。
とてもマネできるものじゃありません。
そんなこんなで買ってからすぐに家に帰って読み進めていました。
12巻の最初はアニメ2期の最終回から続きの話が書かれていました。
そこで知った雪乃の依頼と、それを聞いて考える八幡と由比ヶ浜の思いはなかなか複雑でした。
そしてちょいちょい出てくる陽乃もこれまた毒をついていくスタイル、変わらないですねぇ。
雪乃の中に潜むおぞましいものの正体をこのように答えていました。
「共依存っていうのよ」
信頼とかそんなものじゃないって前にも言っていましたね。
これは互いが自覚しており、そしてひとつの間違った選択として考えていました。
では、その共依存というものはいったいどんなものなんでしょうか。
共依存とは
共依存というものは両者の間で互いに「依存する」関係が成立してしまっていることです。
一方は依存してしまい、もう一方は依存されることで自身の存在意義や価値を見出そうと、依存されることそのものから抜け出さずにはいられない「妄想の中」へと入ってしまっている状態を表します。
八幡は3人の関係を「三角関係」と、八幡と雪乃、そして由比ヶ浜の気持ちを知っているうえで陽乃にそう答えました。
しかし陽乃が見ていたものは違っていました。
この3人に内在する問題を指摘していたのです。
雪乃は八幡や由比ヶ浜に依存し、由比ヶ浜も八幡の好意について雪乃を使って言い訳を重ね、八幡もまた雪乃や由比ヶ浜に理想を押し付けては自身の存在意義を見つけ出そうとしているということをすでに陽乃は知っていました。
八幡自身がその関係を的確に表す言葉を見つけられていなかったため、陽乃から答えを聞くと衝撃的にもピンポイントだと納得してしまったのです。
今回のプロムの件では雪乃は自分ひとりの力で依頼を解決していこうと努力し、そのために敢えて八幡や由比ヶ浜に頼らず、けれど無理しそうになったらその時だけ由比ヶ浜に頼ろうというような考えをもって頑張っていました。
この段階では依存とは言えません。
そしてプロムの件が無事に解決できたら、自分の進路のことについて母と向き合い、しっかり話して「諦める」ことを選ぶつもりでした。
たとえその結果がどのように動いても、雪乃自身が一人で決めて選んだ道として考えが成立するし、諦観することで自分を見失うことはなくなると思います。
しかし現実はそううまくいかず、プロムの件でも諦めるよう母に言われ、窮地に立たされます。
プロムの件が中止されることを八幡に言わなかったのは、「八幡への恋心」の「諦め」でもあったのです。
一方八幡はどう考えていたのかです。
「羞恥と自己嫌悪で吐き気がする。なんと醜く、浅ましいのだ。孤高を
気取りながら、頼みにされれば満足でもなく、あまつさえ愉悦を感じ、
それにして自心の存在意義の補強に充てるなど『おぞましい』にも程が
ある」
今まで八幡はぼっちで生きていました。
しかし奉仕部に入ってからは雪乃や由比ヶ浜に頼られることをどこかで愉悦を感じて、それを存在意義として過ごしていたことに対して「おぞましい」と吐露していました。
陽乃や雪乃ママから諫められ、苦手なプロムの案件にも関わらず、それでも共依存については自分の解釈でやる気を鼓舞しようと努力し、「・・・残ったのは、心残りだけだ」と言いながらも
「・・・・いつか、助けるって約束したから」
と、平塚先生との電話で声に出していました。
その「心残り」が雪乃に対する「恋心」だと知っていながらこのように言ったのです。
このセリフを聞いた瞬間に鳥肌が立ってしまいました。
これが八幡の求める「本物」ということですね。
「いつか、私を助けてね」
雪乃がデスティニーランドで言った約束を八幡はしっかりと覚えており、それを今ここで果たそうとしました。
いやかっこよすぎでしょ。
自分に自信がなくなる
そもそも共依存が成立する要因として共通な部分は「自尊心の低下」ということを知っておかなければなりません。
雪乃は小学校で女子のクラスメイトからいじめにあい、その一方で雪乃ママや陽乃の背中を負いながら「自分ひとりでなんとかしよう」とつねに努力してきました。
後ろから追っていくことはもうなくなりましたが、今度はその対象が八幡になっていたことです。
一方八幡は、ボッチで過ごしていたことで自意識は高かったものの自尊心はそれほど高く持てませんでした。
自分自身は嫌いじゃないというあたりから「そこまで好きでもない」ということも含まれています。
両者の自尊心が低下した原因は違えど、互いに依存してしまう条件としては十分な材料になってしまっていますね。
この共依存をうまいこと「共存」や「相互依存」にもっていけるような方法が見つかれば、互いに認め合い思いあい、そして愛し合うことだってできます。
この俺ガイルでは人間関係の心理描写が細やかに書かれており、そこで読み取れる論理と感情はとても深く、濃いものになっているといえます。
自信をつける方法は失敗を恐れないこと
僕なりの意見を言わせてもらうと、自信=経験値が一番強いため、そのためには
- 行動する
- 失敗を恐れない
- 自身の納得
が必要だと考えます。
特に自身の納得というのがポイントであり、どれだけ理屈や言い訳を重ねても、そのこと自体に自分が少しでも許せない部分があれば成功する確率はぐっと下がってしまいます。
自分の中で確かな確信を持ち、解決へと導ける算段が見つかれば、それだけで自分を鼓舞して行動を起こすことができます。
ただ、その納得する基準は今まで行動してきたこと、失敗して学んできたことと深くかかわっており、それらの経験から判断をゆだねると思います。
だからこそいろんな経験をして失敗を恐れず動いてみることが大事です。
もたもたしているとプライドや年齢とかまた別の言い訳が増えるばかりです。
「今だよ比企谷、今なんだ」
僕も平塚先生のこの言葉をかみしめて頑張っていこうと思いました。
まとめ
いかがでしょうか。
共依存は善悪の問題ではなく、共依存によって関係が中途半端で停滞していることが問題です。
雪乃や八幡、そして由比ヶ浜の思いと行動は結果として実を結ぶのか、続きは本編を手に取って読んでみてください。
俺ガイルはおすすめの本です。
断言します。